バイリンガルニュースのマミちゃんのコラムで、マミちゃんが「この本は格別」と紹介していたので気になって読んでみた。バイリンガル小説って紹介されていたけれど、本を読み始めるまでそれがどういう意味なのかわからなかった。本の正式タイトルは『私小説 from left to right』。この名のとおり、文章は左から右へ、つまり英文のように横書きで書かれている。そして本文の基本は日本語だが、NYで暮らしている日本語と英語のバイリンガル姉妹(著者は妹)の会話は日本語と英語のミックスで書かれている。こういう時は英語になるんだな、という感覚が読み取れておもしろい。さらに、ひとりのセリフなのに、ひとつのことを伝えるのに日本語と英語では人柄がずいぶんと変わって読み取れるところも興味深いと思った。
「格別な一冊」まではいかなかったが、私も15~17歳の約2年間をアメリカの公立高校で過ごした人間としては、いろいろと重なる感情や体験が蘇ってきて、忘れていた記憶を取り戻したような感覚になった。
最も共感したのは、著者が中学生のときに受けた英語のクラスの話。担任はMr. Keith。アメリカには英語を母語としない生徒も多くいるため、英語が苦手な生徒のためのクラスというのがほぼ必ず用意されている。ネイティブでも英語力が一定の基準に達していないとこのクラスに送られる。著者は、この通称dumb classで作文を書き、それが担任のKeith先生の目にとまった。彼はとても美苗の作文をほめ、彼女に上級英語クラス(honor class)も並行して受講するようにすすめる。この時の作文のお題は、なんでもいいから好きなものを取り上げそれについて書くこと。他の生徒はモノを取り上げたのに対し、美苗だけは抽象的な「秋」というテーマをとりあげた。それも田んぼや稲穂が登場する日本の秋だ。Mr. Keithにとってこの話題がとても新鮮だったということもあるかもしれないが、美苗が放課後の時間、自宅ではほとんど日本の小説を読んでいるということを知って、何らかの希望と確信を抱いたのだろう。そうして送られた上級クラスでは、
・Robert Graves の The Greek Myths
・HomerのIliad、Odyssey
・Shakespeare
などが取り上げられたらしい。さらに美苗に日本語の詩を朗読させ、haikuを書いたりもしたらしい。(本文中でもhaikuは英字で書かれていた。英語になってるんだね)
このMr. Keithが美苗に言った言葉。
Don’t forget your Japanese.
これが私がこの本でいちばん感動した一文。
母語の力は大切にしなくてはならない。そして私も日本語は世界中の中でもきっととてもオリジナルであると同時に優れた言語でもあると思う。私も自分の母語が日本語で本当によかったと思うことがたびたびある。英語は勉強でどうにかなっているけれど、日本語を第二言語として学ぶなんて、私にはとうてい無理だろう。
さて、このエピソードが私自身のアメリカの高校生活とどのように結びついたかというと、私の場合はMs. Blackが登場することになる。Ms. Blackは「黒」という色の名前の美術の先生だ。私は英語がまったく話せない状態で、親の判断でアメリカの公立高校に送り込まれた。学年はsophomore(日本の高校1年生にあたる)で、どの授業をとったらよいか、学期が始まる前にカウンセラーと相談して授業の時間割を決めた。私も英語が話せなかったので、英語の基礎を学ぶそれこそdumb classをひとつ、そしてAmerican Literature(アメリカ文学)、American History(アメリカの歴史)を強制的に受講させられた。それ以外は自由に選ばせてくれたが、英語をなるべく使いたくないので、水泳や美術のクラスを多く取った。
アメリカの授業は日本では受けたことのないようなさまざまなカリキュラムがあって今思えば本当に恵まれていたと思う。中でも美術のクラスの種類の多さには驚いた。思い出せるだけでもPainting(描画), Craft(工芸), Ceramic(陶芸), Design(デザイン)があり、このほかにもあと2種類くらいあった気がする。私が最初にとったPaintingのクラスの担任がMs. Blackだ。最初は鉛筆一本で書くデッサンからはじまり、そのデッサンした絵をさまざまな方法でアレンジした作品を作っていく。中でも面白かったのが、四方1mくらいある大きな紙に人物を3人描く。そして塗り絵をするのだが、使っていいのはクレヨン5色のみ。決まった5色の中から色を混ぜて新しい色を作るのは自由。限定された色だけで、あれほど表情豊かな絵が描けるとは思っていなかったので、自分でも完成作品を見ておどろいた。この作品はアメリカのステイ先に置いてきてしまったので、今頃は捨てられているだろう。
このMs. Blackはなぜか私の作品を非常に気に入ってくれて、よく褒めてくれた。おそらくだが、ほかの生徒が描く作品にくらべて日本人の私が描いた絵は線が几帳面なほどに細かく、人物の髪や洋服の模様などをバカ丁寧に忠実に書き写していたからだと思う。他の生徒は、簡略することを心得ており、なるべくはやく授業を終えたい一心で少しでも手間のかかることは避けたいというような風潮があった。そんなクラスのムードも読み取れなかった私は、ただひたすら丁寧に見たありのままを描いていた。それがMs. Blackの心を打ったのか、夏休みに入る前、私は彼女のデスクに呼ばれこう言われた。
I want your drawing to be in my exhibit. And I also
want your drawing to be in a Denver Art competition.
私の作品を彼女の生徒の優秀な作品を集めた展示会に出したい。そしてデンバー地域のアートコンテストに出したい、と。
私が日本からの留学生だと知っていた彼女は、「だから夏休みが明けたら必ずこの教室に戻ってきて作品を最後まで仕上げてね」と言い足した。しかし、私はこの夏休みにホームシックで日本に戻ってしまった。
水村さんのMr. Keithの話を読むまですっかりこんな話は忘れていたのだが、日本では美術音痴だと思われていた私の作品がこんなにまで褒められたことは後にも先にもこの時だけだろう。そして、この夏休みにMs. Blackのところに戻っていたら、私は今ごろまったくちがう人生を送っていたかもしれない。
Ms. Blackは元気にしているだろうか。
今年の6月に久しぶりにDenverに行くので、私の通った高校が今はどうなっているのかちょっと見てこようと思う。私の作品もどこかに残っていないかなあ。
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