2015年6月28日日曜日

2歳2か月の子どもが初めてアメリカで2週間英語生活を体験してわかったこと

先日、2週間ほど子どもを連れてアメリカへ行ってきました。
アメリカには私の父の家族が住んでいます。(父はアメリカ人です)

2歳2か月のわが子は保育園生活でどっぷり日本語漬けなので、口から出てくることばはすべて日本語の状態で、アメリカで2週間ほど英語漬けの時間を過ごしたことになります。

アメリカにはわが子と同じ年齢の子どもから、3歳~7歳くらいまでの子どもたち、ティーンエイジャーの若者たち、50代60代のおじさま&おばさまなど、バラエティにそろった年齢構成の家族がいたので、自然な英語環境ができたと思います。

ただ、同行した私の他の家族はほとんど英語が話せないので、ホテルに戻ってくると自然と日本語の会話になってしまい、この点が非常によろしくなかったと反省。
(次回からは自分たちだけで行くか、ホテルの部屋は他のメンバーとは別にとるべきということを肝に命ずる)

で、子どもの英語は結果的にどうなったかというと、

最初の2日間くらいは、完全に困惑していました。一生懸命英語の世界に入ろうとじっくり会話を聞いているけれど、出てくることばはすべて日本語。私は日本語がわかってしまうので、子どもが日本語で答えても、応対ができてしまいますが、現地のアメリカ人はそうはいかないので、うまくコミュニケーションができない状態。大人は、私の子どもが英語がわからないと察知するとそれなりのやりとりをしてくれるのですが、さすがに3歳くらいの子どもはそうはいかず、「Hey, do you hear me?」などと言われて、うちの子どもはポカーンとしていました。

3日目あたりに7歳の面倒見のいい男の子が、うちの子どもにつきっきりで、一日一緒に遊んでくれました。これがきっかけで、子どもどうしで英語のコミュニケーションが少しずつとれるようになったように思います。もちろん、ほとんどはノンバーバルなコミュニケーションですが、

7歳のお兄ちゃんが、
Come on! 
No, you can't do that.
Let's play.
Can you give me a hug?
Knuckles! (手でグーを作って、お互いにグーをぶつけあうという遊び)
High five! (ハイファイブ)
Kick it! (ボール遊びで)
Hit the pan. (フライパンをひっくり返して、棒でたたいて音がでる遊び)

などと言うのを聞いて、それなりにYes./No./ OK.などで返事をしていました。

また、5日目くらいからは17歳のティーンエイジャーのお姉ちゃんと一緒に過ごす時間が多くなって、このお姉ちゃんが必至にうちの子どもに英語で語りかけてくれました。普段から子どもたちにスイミングを教えているというお姉ちゃんで、子どもの扱いはとても上手。動物の鳴き声や、英語の歌、手遊びなどをたくさん教えてくれました。
特にミニオンのbanana songがお気に入りだったようで、このお姉ちゃんとうちの子どもがいっしょに歌うくらいになりました。(ミニオンのbanana songは英語でも日本語でもないのですが……)。
まあ、それくらい心が解け合ったということですね。

アメリカ最後の日には、私が留学していたときによく一緒に遊んでくれた近所の友だちに久しぶりに会いました。その子も3歳の子どもがいたので、一緒に公園で遊んだのですが、子ども同士でミニカーで一緒に遊んだり、簡単なパズルをしたりして仲良く遊んでいました。

やっぱり英語が話せる同じ年齢のお友達がいるって大きいですね。
たった2週間で子どもの中では、英語で遊ぶときの心構えというかコミュニケーションのツールのようなものが出来上がっていて、それを使いこなすことができるようになっていました。
もちろん言語的に英語をスラスラ話すというレベルにはなりませんでしたが、英語の環境に順応する姿勢を観察することができて、私もとても勉強になったのでした。


そして、実はアメリカで過ごした2週間よりも戻ってきてしばらくしてから、「おお」と思えることがありました。

日本に帰国したのは日曜日の夕方で、翌日の月曜日からいつもの保育園生活。私は仕事で平日はほとんど一緒にいられないので、戻ってきてから初めての週末に英語で話しかける時間を作ってみたら、なんと結構スムーズに英語が出てきたんです。正確に言うと、それまでは英語で話しかけても日本語でリターンされるというのが多かったのに、なぜか英語に対しては英語のリターンで返そうとする様子がわかりました。言いたいことが英語でうまく見つからない様子はするのですが、それでも私の言う英語を面白がってリピートしたりしていました。

ちょうど今日車に一緒に乗っていて、車のドアの鍵のところは触ってはいけないことになっているので、私が見ていないと思ったのか、思わず触りたくなって触ってしまっているところで、Hey! What are you doing?と言ったら、ものすごく驚いて(自分がやってはいけないことをしていたものだから)、ドキっとしていたのですが、その後しばらくそのセリフが気に入ったようで、自分で繰り返していました。


この先の課題としては、子どもの耳に自然に英語が入る機会を増やすために、英語の子ども番組などを家庭で簡単に流せる環境を作ろうと思っています。Huluでセサミストリートなどを見せていたのですが、huluがなぜか見られなくなってしまったので、これを機にエンタメ環境などを少し見直そうと思っています。

それでは!










2015年4月22日水曜日

The Very Hungry Caterpillar 日本語の歌

英語の絵本が図書館にあったから読んであげようと思ったら、なんといきなり日本語で、
「月曜日―、リンゴをひとーつ食べました。それでーも、やっぱーり、お腹はぺこぺーこ♪」って歌ったの!!!
(子ども2歳になったところです)

えええー、知ってるの??

しかも日本語で??

なんでだ!?

それは保育園で教えてもらったからのようです。

日本語と英語の枠を超えて、歌ってすごいなって思います。


2015年4月12日日曜日

The Wheels on the Busが好きな子どもにおすすめYouTube

今日たまたま見つけたsesami streetの動画です。
音楽もいいし、内容もわかりやすいのでうちの子はものすごくはまっていました。
The Wheels on the Busがしみこんでいるので、関連する表現がいくつかあって子どももすんなり理解できたよう。これはいいなと思いました。




2015年4月4日土曜日

私小説   水村美苗著 1995年に小説単行本化



バイリンガルニュースのマミちゃんのコラムで、マミちゃんが「この本は格別」と紹介していたので気になって読んでみた。バイリンガル小説って紹介されていたけれど、本を読み始めるまでそれがどういう意味なのかわからなかった。本の正式タイトルは『私小説 from left to right』。この名のとおり、文章は左から右へ、つまり英文のように横書きで書かれている。そして本文の基本は日本語だが、NYで暮らしている日本語と英語のバイリンガル姉妹(著者は妹)の会話は日本語と英語のミックスで書かれている。こういう時は英語になるんだな、という感覚が読み取れておもしろい。さらに、ひとりのセリフなのに、ひとつのことを伝えるのに日本語と英語では人柄がずいぶんと変わって読み取れるところも興味深いと思った。

 「格別な一冊」まではいかなかったが、私も1517歳の約2年間をアメリカの公立高校で過ごした人間としては、いろいろと重なる感情や体験が蘇ってきて、忘れていた記憶を取り戻したような感覚になった。

 最も共感したのは、著者が中学生のときに受けた英語のクラスの話。担任はMr. Keith。アメリカには英語を母語としない生徒も多くいるため、英語が苦手な生徒のためのクラスというのがほぼ必ず用意されている。ネイティブでも英語力が一定の基準に達していないとこのクラスに送られる。著者は、この通称dumb classで作文を書き、それが担任のKeith先生の目にとまった。彼はとても美苗の作文をほめ、彼女に上級英語クラス(honor class)も並行して受講するようにすすめる。この時の作文のお題は、なんでもいいから好きなものを取り上げそれについて書くこと。他の生徒はモノを取り上げたのに対し、美苗だけは抽象的な「秋」というテーマをとりあげた。それも田んぼや稲穂が登場する日本の秋だ。Mr. Keithにとってこの話題がとても新鮮だったということもあるかもしれないが、美苗が放課後の時間、自宅ではほとんど日本の小説を読んでいるということを知って、何らかの希望と確信を抱いたのだろう。そうして送られた上級クラスでは、
Robert Graves The Greek Myths
HomerIliadOdyssey
Shakespeare
などが取り上げられたらしい。さらに美苗に日本語の詩を朗読させ、haikuを書いたりもしたらしい。(本文中でもhaikuは英字で書かれていた。英語になってるんだね)

このMr. Keithが美苗に言った言葉。

Don’t forget your Japanese.

これが私がこの本でいちばん感動した一文。

母語の力は大切にしなくてはならない。そして私も日本語は世界中の中でもきっととてもオリジナルであると同時に優れた言語でもあると思う。私も自分の母語が日本語で本当によかったと思うことがたびたびある。英語は勉強でどうにかなっているけれど、日本語を第二言語として学ぶなんて、私にはとうてい無理だろう。

さて、このエピソードが私自身のアメリカの高校生活とどのように結びついたかというと、私の場合はMs. Blackが登場することになる。Ms. Blackは「黒」という色の名前の美術の先生だ。私は英語がまったく話せない状態で、親の判断でアメリカの公立高校に送り込まれた。学年はsophomore(日本の高校1年生にあたる)で、どの授業をとったらよいか、学期が始まる前にカウンセラーと相談して授業の時間割を決めた。私も英語が話せなかったので、英語の基礎を学ぶそれこそdumb classをひとつ、そしてAmerican Literature(アメリカ文学)、American History(アメリカの歴史)を強制的に受講させられた。それ以外は自由に選ばせてくれたが、英語をなるべく使いたくないので、水泳や美術のクラスを多く取った。

アメリカの授業は日本では受けたことのないようなさまざまなカリキュラムがあって今思えば本当に恵まれていたと思う。中でも美術のクラスの種類の多さには驚いた。思い出せるだけでもPainting(描画), Craft(工芸), Ceramic(陶芸), Design(デザイン)があり、このほかにもあと2種類くらいあった気がする。私が最初にとったPaintingのクラスの担任がMs. Blackだ。最初は鉛筆一本で書くデッサンからはじまり、そのデッサンした絵をさまざまな方法でアレンジした作品を作っていく。中でも面白かったのが、四方1mくらいある大きな紙に人物を3人描く。そして塗り絵をするのだが、使っていいのはクレヨン5色のみ。決まった5色の中から色を混ぜて新しい色を作るのは自由。限定された色だけで、あれほど表情豊かな絵が描けるとは思っていなかったので、自分でも完成作品を見ておどろいた。この作品はアメリカのステイ先に置いてきてしまったので、今頃は捨てられているだろう。

 このMs. Blackはなぜか私の作品を非常に気に入ってくれて、よく褒めてくれた。おそらくだが、ほかの生徒が描く作品にくらべて日本人の私が描いた絵は線が几帳面なほどに細かく、人物の髪や洋服の模様などをバカ丁寧に忠実に書き写していたからだと思う。他の生徒は、簡略することを心得ており、なるべくはやく授業を終えたい一心で少しでも手間のかかることは避けたいというような風潮があった。そんなクラスのムードも読み取れなかった私は、ただひたすら丁寧に見たありのままを描いていた。それがMs. Blackの心を打ったのか、夏休みに入る前、私は彼女のデスクに呼ばれこう言われた。

I want your drawing to be in my exhibit. And I also want your drawing to be in a Denver Art competition.

私の作品を彼女の生徒の優秀な作品を集めた展示会に出したい。そしてデンバー地域のアートコンテストに出したい、と。
私が日本からの留学生だと知っていた彼女は、「だから夏休みが明けたら必ずこの教室に戻ってきて作品を最後まで仕上げてね」と言い足した。しかし、私はこの夏休みにホームシックで日本に戻ってしまった。

水村さんのMr. Keithの話を読むまですっかりこんな話は忘れていたのだが、日本では美術音痴だと思われていた私の作品がこんなにまで褒められたことは後にも先にもこの時だけだろう。そして、この夏休みにMs. Blackのところに戻っていたら、私は今ごろまったくちがう人生を送っていたかもしれない。

Ms. Blackは元気にしているだろうか。

今年の6月に久しぶりにDenverに行くので、私の通った高校が今はどうなっているのかちょっと見てこようと思う。私の作品もどこかに残っていないかなあ。

2015年2月8日日曜日

仕事の愚痴


 ああああ、もう今担当している英語の書籍の先生・・・いつもそうなんだけど、とにかく自分で文章を書かないの。それですんごい印税もらってるのよ。じゃあ誰が書いてるの?ってそれは私、編集者ですよ。企画というか大まかな案はもちろん先生が持ちかけてくるんだけど、それを書籍に落とすまでの間に、きちんとした原稿をいっさい書かないってどういうことなの?全部こっちか案を下書きして持っていって、それをブラシュアップする形でしか仕事ができないのよ。そんでもっていつもギリギリになって、いままで作り上げてきた原稿やレイアウトや表紙のイメージとかについて、「あらためてゆっくり見てるんだけどココはやっぱりこの方がいい」とか平気で言ってくるわけ。あああああ、こっちは締切に間に合わせるために必死で先生になんども確認して作り上げてきたのに、もうやってらんないよね!! どっかに吐き出さないとやり切れなかったのでここで言ってしまいました。少しスッキリしたので、とにかく早く今担当しているこの本が終わるように祈ります。

2015年1月15日木曜日

ことばの力学 ―応用言語学への招待― 白井恭弘(2013)





年末に読みました。
白井先生はアメリカで言語学専攻の学生に「言語学の応用」という授業をしているそうで、ぜひその授業の内容を本や動画にしてほしいなと思います。

この本でドッグイヤーしたところをメモ

p52
多くの研究の結果、認知心理学の分野では、バイリンガル児のほうがモノリンガル児よりも認知的にすぐれている、ということが定説になっている。…ニューヨークタイムズ紙(2012317日)は「なぜバイリンガルのほうが賢いか(Why bilinguals are smarter)」という記事を掲載しました。

p57
ジム・カミンズの「読み書きの能力(リテラシー)も含めて、思考力と関係の深い言語能力は共有される」という考え方。脳の処理能力に限界があると考えれば、二つの言語を高いレベルであやつるということは、非常に難しいはずです。…これが可能になるのには、脳が二つの言語を別々に記憶、処理しているのではなく、二つの言語に共通する部分は共有しているため、と考えるのがカミンズの二言語基底共有説(もしくは、二言語相互依存説)です。そして主として共有されるのは、日常会話能力(BICS=Basic Interpersonal Communicative Skills)ではなく、教科など、複雑な内容を扱う学習言語能力(CALP=Cognitive Academic Language Proficiency)のほうです。バイリンガルといっても、ただ日常会話ができるレベルと、複雑な内容を議論したり書いたりというレベルとでは、話が違うのです。

p.60 「ダブルリミテッドの危険性」
…第二言語の日常会話能力だけ発達して、複雑な会話ができないのは、均衡バイリンガルとは言えません。ひどい場合には、母語でも第二言語でも学習言語能力が発達しないまま終わってしまうケースも考えられるのです。これをダブルリミテッドと呼ぶこともあります。


p.64 「言語学の応用としての『応用言語学』」
…外国語教育に言語学が本格的に応用されたのは、主に第二次世界大戦からその後の冷戦時代で、「戦争」「冷戦」という現実がきっかけでした。つまり、敵国の情報を効率よく集めるためです。…戦時下に言語学は暗号解読のために利用されました。…さて、第二次世界大戦からその後の冷戦時代の言語学の主流は、構造言語学でした。…そこで外国語教育のために、当時心理学で主流だった行動主義心理学の「習慣形成」学習理論を利用して、オーディオリンガル教授法という方法が提案されました。…つまり「意味を無視してもできてしまうドリル」を大量にやらせたことです。現在では意味を理解することが言語習得のカギだということがわかっています。

p.67  「効率のよい外国語学習とは」
…言語習得の一番大変なところは、リアルタイムでどんどん流れてくる音を、すぐさま意味として理解すること、そして、頭の中で言いたいと思っている内容を、音声言語としてものすごいスピードで口に出さなければならないことです。…意味を無視したドリルでは、それはできるようになりません。…ではどうすればそれができるようになるか。第二言語習得研究が出した答えは、「インプットを聞いて意味を理解すること」です。…意味を音声で聞いて理解するプロセスなしに言語習得は起こらないというのが、第二言語習得研究の現在までの結論です。

p.112
日本語には、さらに、相手が何を思っているかを表す「文法形式」があります。「ね」「よ」「かな」などの終助詞がそれです。…これらの表現は子どもが小さいときから非常によく使われるので、日本人の子どもは「心の理論」の発達が早いのではないかと考えられました。ドイツ語にはこのような文法形式がないので、ドイツ人と日本人の三歳児を比較して前記の「誤った信念課題」を使って実験したところ、日本人の子どもは、使われた言語表現に基づいて登場人物の思っていることをある程度推測できるのに対して、ドイツ人の子どもはそれができないという結果がでました。

→うちの18か月児は最近よく「ね」を使うな。「おいしいね」「きれいだね」って。それからおもしろいなと思っているのは「行ってみる」という表現。「~てみる」というのは私が「行ってみる?」と聞くからその反復で覚えちゃったんだよね、きっと。さらに、「どうかな~?」「なんだろう?」を頻繁に使っているのが印象的。これも私がたくさん言ってるんだろうな。


p.122
…このように私たちは経験にもとづいて、あるものとあるものを結びつけるという認知活動を常に行っています。そのような認知構造の中で不都合なものを「ステレオタイプ」とか「先入観」と呼んでいるのです。…ステレオタイプの怖いところは知らないうちに、予断を持って判断をしてしまうところです。

→「ステレオタイプ」ってよく聞く言葉なんだけど、まだ自分のボキャブラリとして使いこなせるところまでいってなかったんだけど、白井先生のこの説明の前後を読んで、よくわかりました。今まででいちばんよくわかったかも

p.124
…仕事上の成功を男性は自分の手柄のように振る舞うのに対し、女性はみんなの手柄だというような言動をする傾向があるのです。そうすると上司は、男性の方を昇進や昇級で評価しがちになります。

くやしいかな、でもこれは相当な現実だと思う。私の会社なんて評価を下すべく社長が女性なのに、女性の社員(=私)の成果はみんなの成果だと思い、男性の成果は(個人がものすごいアピールするから)男性の手柄として認められてしまっている。本当に上司が部下の性格やスキルをしっかり見る力がないと、納得のいく評価はできないと思う。現実問題、それがしっかりできている上司なんて90%もいないんじゃない!?(私の勘だけど)


p.165
法律専門知識のない私たち一般人は、それだけで、不利な状況におかれます。そうならないよう、少なくとも法に関わる言語を一般の人にもわかりやすいものにし、無実の人が犯人にされることのない言語使用がなされることを保障することが必要でしょう。

そして現実的な具体案として、
1)法律関係の言語を簡単にする
2)目撃証言の収集方法の記録

にもっと注力すべきだと白井先生は述べています。

→法律用語に関しては私もまったく同意見。甲とか乙とかただ読みにくいだけだし、事態を混乱させているだけだし、法は法律家という一定の人にしか操ることができないものだというのは本当におかしいと思う。もっとわかりやすく、だれでも簡単に理解し、読めるものにすべきです。

p.171
…アメリカでディスレクシアが多いのは、英語の綴りと発音の関係が非常に複雑なためだと言う説もあります。実際、英語より規則性の高い言語を使う国民は、ディスレクシアの率が少なくなっています。

→最近英語のフォニックスについて調べたり、話を聞いたりする機会が増えているんだけど、英語の綴りって本当に複雑! それに比べるの日本語の1文字1音ってとてもシンプルでわかりやすいなあって思う。ディスレクシアって本当に多いんだよね。ハリウッドで活躍している著名人にも多くて、ぱっと思いつくだけでも、キーラ・ナイトレイ、トム・クルーズ、スピルバーグ監督などがいる。

p.179
自閉症の少女。カナダのカーリー・フライシュマン。YouTubeにいろいろな動画をアップしている。カーリーのwebsite  

p.187
アメリカのコメディ番組「ビッグバンセオリー」ではSiri (iPhoneのソフトウェア) のことが好きになってしまう登場人物が描かれている。

→応用言語学とは関係ありませんが、「ビッグバンセオリー」は気になっていたところだったのでうれしくてメモ。



2015年1月11日日曜日

読み聞かせの効果について New York Timesの記事




親子で読み聞かせをする時間が多いほど、子どもの読書意欲を育てることができるーーということが証明されたらしい(New York Times 2015.1.9) 

バイリンガルの話題とは少しそれるけれど、子どもにgood readerになってほしいと思ったら、0歳から絵本の読み聞かせをするとよいらしいです。スカラスティックによる調査だからきっとしっかりしたリサ―チをしたんじゃないかな。英語もできるようになってほしいけど、日本語でも英語でも「自分から本を読む」子どもには育ってほしい。
英語の読み聞かせはいいよとは聞いていたけれど、実際に効果として何かが証明されるような話はあまり聞いたことがないので、私にとっては意味重大な記事でした。だからメモ。